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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2008年03月02日

お蚕と衣笠姫

 むかしむかし。
 衣笠姫(きぬがさひめ)というお姫さまがおりました。
 衣笠姫はほんとうに、玉のように美しい日本一のお姫さまでありました。
 お姫さまは何ひとつ不足なく、お父さまとお母さまに可愛がられて、御殿で幸福に暮らしておりました。
 しかし、月にむら雲、花に風といって、世の中はうまくいかないものです。衣笠姫のお母さまが病気で亡くなってしまったのです。
 そのあとに継母がきましたが、この女は顔のみにくい心のねじけた人でした。そこで、
「ほんとうに、衣笠姫はにくらしい。」
と口ぐせに言って、姫につらく当たりました。すると姫にはおもりのお爺さんとお婆さんがついていて、
「まあ、かわいそうなお姫さま。」
とかげになり、ひなたになって、姫をいたわってくれました。
 けれど継母は、どうしても姫がじゃまになってしかたがありません。それは姫があんまり美しいので嫉妬したのです。
「あの子を馬小屋に、とじこめてしまいましょう。」
 ある日、継母は、姫をきたない馬小屋にいれて、小屋をしっかり閉ざしてしまいました。
そのために、声をだす間もなく姫は、暴れ馬にふみつけられて、かわいそうに背中に馬の足あとがついてしまいました。
 姫の泣く声をきいて、すぐお爺さんとお婆さんが駆けつけて、姫を馬小屋から出してくれました。これはシジの休みの日のできごとです。
 すると次に継母は、
「こんどは姫を竹林の中へ入れてしまいましょう。
 姫は竹林の外に出ようとして、竹やぶの中を泣きながらさまよいました。
 するとまた、姫の泣き声を聞いて、お爺さんとお婆さんが、さがし出してくれました。
「まあ、かわいそうなお姫さま。」
 それはタケの休みのできごとでした。
 さあ今度は三度目です。フナの休みの日でした。こんどこそ鬼のような継母は、姫をたらいにのせて大きな川へ流してしまいました。さあ姫はどこまで流されて行くのでしょう。
しかし、それにも、
「お姫さまの、おすがたが見えないが、どうしたろう。」
と気の狂ったようにさがしまわったお爺さんと、お婆さんのおかげで、運よくさがし出されて助かり、御殿にもどることができました。
 さあ、いくど姫を殺そうと思っても、そのたびに姫が助かってしまうので、いちばんおしまいに継母は、姫をとうとう庭のすみに穴を掘って、そこへ突き落として埋めてしまいました。これはニワの休みの日のできごとでした。
 さあこのことを知ったお爺さんとお婆さんは  


Posted by はなもぐ  at 11:30Comments(0)むかしばなし

2008年02月26日

足跡はんだん

 むかし、吾妻郡の中之条町はもっとへんぴな長岡というところにありました。
 どうも不便なので寄合のときこんな話がでました。
「なあ、おい。町をもっと便利なところへ引っ越そうじゃねえか。」
「そうだなあ。そうすれば、中之条はもっと繁華になるべえ。」
「引っ越すとなると、どこがよかんべなあ。」
「さあ、どこがいいかなあ。」
 引越した方がいいとわかっていても、いよいよ実行することになると、場所の問題で決めかねました。こんなときは、めいめい、自分たちのつごうのいい方へ引っぱりたがるものです。
 すると一人の知恵のある男がいいました。
「いい考えがあるぞ。俺にまかせておけ。」
「まかせておけって、いつまでまかせておくんだ。」
「まあ、四、五日待ってくれ。今教えるわけにはいかねえ。」
 男がこう言ってから、四、五日たちました。
すると冬のことなので、ある日、空が曇って、チラチラと白い雪が降ってきました。
「やあ、雪だ雪だ。」
「こいつァ、四、五寸つもるらしいぞ。」
 町の人が話し合っていると、ほんとうに雪は五、六寸積もって、よいあんばいに止みました。
 すると町の大勢の人たちは、近郷の人たちも交えて、いろいろの用事のために、表のあっちで、こっちでであいました。
 このときはじめてしばらく待ってくれと言った男が、町の有志たちに、
「すぐ集まってくれ。」
とふれをまわしました。みんなが集まると、
「さあ、ちょうどいい機会だ。みんなで今日、通行人の足跡をしらべてみよう。」
「通行人の足跡ををしらべてどうするんだ。」
「わかったことじゃねえか。通行人が一番多く従来したり、出会ったところへ町を引っ越すんだ。そこがいちばん町として適当なところじゃねえか。」
「なるほど。」
 町の人たちは、この知恵にはすっかり感心しました。そこで、みんなで雪の上にしるされた通行人の足跡をしらべて、一番多いところへ町を引越したそうです。
 いまの中之条町は、こうしてできたのだといわれています。
  


Posted by はなもぐ  at 21:00Comments(0)むかしばなし

2008年02月13日

浜尻の方円塔

 むかし。
浜尻町に、大乗庵という、隠居寺があった。
 その庵に住む、何代目かの庵主は、生まれつき歯の性が悪く、長いこと歯痛に悩まされていました。
 その痛みといえば、並みの痛みではありません。
 まるで頭の中に、何本ものきりを、もみこむようで、果ては歯が痛むのやら、頭や耳が痛むのやら、わからないくらいでした。
 庵主は、わらにでもすがる思いで、効くといわれる薬草から、加持祈祷にいたるまで試してみましたが、何の効き目もありません。
 手だてのつき果てた庵主は、
(世の中には、わしのように歯痛で苦しむ者も多かろう。この上は、われとわが身を仏となし、歯痛に悩む多くの人を救おう)
と決心したのです。
 そこで檀家の人々を集めてわけを話しました。
そして身を清め、白装束にわらじをはくと、かねを手にしてひつぎに入り、
「わしが生きておる間は、かねをたたき念仏を唱える。かねの音が止んだら、往生したと思うてくれ。」
 そういい残して、ひつぎを、土に埋めさせました。
 かねの音は三日三晩鳴りつづけましたが、次第に弱々しくなり、やがて、静かになりました。
人々はひつぎを埋めた土に伏して泣き、庵主の冥福を祈りました。
その後、庵主の徳をしたう人々によって、ひつぎを埋めた上に、方円塔が建てられました。
この方円塔を、歯の痛む人々が拝むと、たちまちにして、痛みが治まったということです。
いま、浜尻町にある方円塔は、後に建て替えられたものだそうですが、塔の右上部に、赤茶へたしみのようなものがみえるそうです。
そのしみは、庵主の尊い血潮が、にじみでたものと思われて、永く人々の信仰を集めてきたということです。
  


Posted by はなもぐ  at 21:25Comments(0)むかしばなし

2008年01月15日

縛られ地蔵

 今はむかし。
 貝沢堀(飯塚町)の近くに、身上をのみつぶすほど酒好きの男がいました。
 ある春の日のこと。
 男は昼間から酒を飲み、貝沢堀の土手にひっくり返ってトロトロしておりました。
 すると夢を見ました。堀の中から突然地蔵様があらわれて、
「わしは、この貝塚堀に沈んでおる地蔵じゃ。もし、お前がこのわしを堀から引き上げて、深く信心するならば、必ず福をさずけよう。」
 と言って、また堀の中へ、すっと消えたのです。
「奇態な夢を見たもんだ…。」
家に戻ったあとも、どうにも、夢のことが気にかかります。
 男は思いきって、堀の底をさぐってみました。
 すると、たしかに夢にあらわれた、お地蔵さまが沈んでいるではありませんか。
 男は地蔵様を堀から引き上げると、土手に安置し、お告げ通りに朝晩手を合わせました。
 それからというもの、男に運が向いてきた。
 することなすこと、うまくいく。日照り続きで、村じゅうの家が不作でも、男の田や畑だけは豊作になる。川に網をかけても、面白いほど魚がかかった。
「ありがてぇ、ありがてぇ、これもみんな、お地蔵様のおかげだ。これは心を入れかえてまじめにかせがなくては、ばちがあたる。」
 男は、好きな酒を地蔵さまに進ぜて、酒を断ち、まじめにかせぐことを誓いました。
 そして人が変わったように、働き出したので、何年もしないうちに、村一番の身上を築きあげることが出来ました。
 やがてこの地蔵様のご利益が、あたりの村や町に聞こえて大評判となりました。
 われもわれもと毎日大勢の人が、ご利益をもとめて、地蔵様のところへおしかけます。
 来る人来る人、男のまねをして、酒をあげては願をかける。
 地蔵様の前には、竹筒に入れた酒が山と積まれ、土手にできた参道は、酒を入れた竹筒を商う露店で、にぎわったそうです。
 いつしか、村の若い者たちは、朝から地蔵さまの奉納酒に酔いしれて、働くことを忘れたのです。
 村の田や畑は、いちめん草におおわれました。
 困りはてた年寄りたちは、とうとう、おそれながらと奉行所に訴えました。
 けれど奉行所も、酒を飲んだというだけで、村の若い者を捕まえるわけにはいきません。
 頭をしぼった役人は、大勢の家来を引きつれて、村に出張って地蔵さまの前にたち、
「そこな地蔵、おのれが酒を飲むばかりか、村の若い者を、酒浸りにした不届き者、とくとせん議してくれるゆえ、神妙にお縄につけ。」
と、地蔵さまを縛りあげ、そのまま、大八車で、奉行所へ引っ立てました。
奉行所のいきな計らいで、参詣人のとだえた村は、もとのように静かになりました、
 若者たちも、きもを冷やして、また、せっせと働きだしました。
 それから三年、地蔵様は奉行所から出されることになったが、村では引き取り手がない。
 そこで長泉寺の和尚が引き取って、今が今でも大切に、境内にまつっておられるのです。

  


Posted by はなもぐ  at 09:30Comments(1)むかしばなし

2007年12月27日

地主稲荷と八幡様

高崎市八幡町の八幡宮は名高い社で、今でもお参りする人が多い。
 むかし、八幡様がこちらにこられたとき、社を建てる地所がなかったと。
 気に入った場所には、すでに稲荷様がまつられていたので、八幡様は稲荷様にお願いした。
「少しばかり、地所を貸してください。」
 すると、稲荷様は横を向いてそっけなくいったと。
「地所は貸すわけにはいきません。」
「わたしはこの場所が気に入ったのです。そうたくさんとはいいません。わら一束置けるだけでけっこうですから、貸してください。」
 八幡様があまり熱心に頼むので、とうとう、稲荷様もいったと。
「そのくらいならいいでしょう。」
 すると、八幡様は一束のわらを持ってきて、一本一本並べて置いた。
「これだけの土地を借りたい」
 それはかなり広い場所だったと。
 稲荷様は約束してしまったので、いまさら、「だめ」というわけにもいかない。
しぶしぶ貸すことにしたと。
 だから、八幡様にお参りする人は、地主神の稲荷様を先ず拝んでから、八幡様を拝まなくてはいけないんだとさ。
  


Posted by はなもぐ  at 20:20Comments(0)むかしばなし

2007年12月10日

上和田の白ヘビ

 今は昔。
 高崎の烏川の近くに、年を取った子供がいない夫婦が、木賃宿をしておりました。
 その宿屋は宿賃が安いことや、中山道が近いこともあって、とても繁盛しており奉公人も大勢いて、夫婦は何不自由なく暮らしておりました。
けれども子供がいないことが寂しくてなりませんでした。
 ある年のこと、夫婦はふと、
「気晴らしに、伊勢参りにでも行ってみようか。」
と思い立ちました。そのころ、伊勢へ行くといえば、とても長い旅になりました。ひょっとしたら、今生の別れにもなりかねないほど大変なものでした。
 夫婦は番頭をよんで、
「伊勢参りに出かけるが、長旅ゆえ何があるかわからん。わたしたちが、三年たっても戻らなかったら、この宿はお前さんにやろう。」
 そう約束して、留守を頼んで出かけました。
 しかし半年もすると、夫婦は伊勢参りを済ませ、奉公人の土産を買って無事に戻ってきました。
 ところが帰ってきてみて驚きました。
 もといた奉公人は誰もいません。番頭のほかはみんな新しい顔ばかりです。
それどころか留守を頼んだ番頭は、
「ばかを言うな。わたしはむかしっから、この家のあるじだ。いったいお前さんはたちは、どこのだれだね。」
と、いうではありませんか。あげくの果てに、家を出ない夫婦に向かって、
「このこじきども、とっとと失せろ!」
力ずくで、追いたてました。
 思いもかけない災難に、夫婦は途方にくれてしまいました。
 しばらくの間、行くあてもなく宿の近くをうろうろしておりましたが、やがてどこかへ姿を消してしまいました。
 二匹の白いヘビが、木賃宿のまわりにあらわれるようになったのは、それから間もなくのことでした。
 ふしぎなことに宿の奉公人たちは、その白いヘビを見ると、必ず病気になったり目が見えなくなったりして、暇を取ることになりました。
 そうやって奉公人が一人へり、二人へりしていつしか宿はさびれていきました。
 そのせいでしょうか、とうとう番頭も頭がおかしくなって烏川に身を投げて死んでしまいました。
 二匹の白いヘビは、それからいつまでも上和田の台地にすんでおりましたそうです。
 それっきり。
  


Posted by はなもぐ  at 10:05Comments(0)むかしばなし

2007年11月10日

佐野の舟橋

  はるかむかし。
 烏川をはさんで東の佐野に朝日長者。西の片岡に夕日長者と呼ばれる長者がおりました。
 ふたりの長者は、たがいに力を競いあっており、すきあらば相手を滅ぼさんと狙っていました。その朝日長者には、おなみという美しい娘が、夕日長者には小次郎というりりしい若者がいました。
 ある夏の夕暮れのこと。
 烏川にかかる舟橋のたもとで、おなみが侍女と月見草をつんでおりますと、そこへ小次郎が馬で通りかかりました。
 おなみををひとめ見た小次郎は

その美しさに心を奪われ、おなみもまた小次郎の若衆ぶりに、ほほをそめました。
 次の日からふたりは、月見草のひらく夕べになると、橋のたもとで忍びあうようになりました。
 しかしそのおう瀬はいつまでもかくしとおせるわけもなく、間もなく長者たちの知ることとなりました。
「朝日長者の娘などに会うことはならん。」
「夕日長者の小せがれに娘はやれん。」
 長者たちの怒りはすさまじく二度と会わないようにと、おなみも小次郎もそれぞれの屋敷に閉じ込められてしまいました。ふたりの思いはつのるばかりでした。
 ある夜、必死の思いで屋敷を抜け出したおなみは、烏川の舟橋を小次郎のいる館をめざして走りました。
 ちょうどなつかしい舟橋の中ほどまできた時です。
 突然おなみの姿が、
アァーッ、
 やみをきり裂く悲鳴とともに、流れの中に消えました。
 ふたりが会えんようにと、長者たちが使用人にいいつけて、橋板を何枚かはずさせておいたのです。
 そこへ、おなみ会いたさにひそかに屋敷を抜け出した小次郎がやってきました。
 橋のたもとでおなみの悲鳴を聞いた小次郎は、声のした方へ夢中でかけました。
 そしてはずされている橋板に気がつきました。
 おなみっ、おなみぃーっ
 足元のやみに向かって小次郎は力のかぎりに呼びました。
 しかしかえってくるのは、どうどと流れる、水の音だけでした。
 おなみの死をさとった小次郎はおなみの後を追って、はげしい流れに身を沈めました。
 人々は、二人の死をたいそうあわれみ、
    かみつけの佐野の舟橋とりはなし
        親は紗暮れ度、あ(吾)はさかるがえ   ・・・良翁
などと歌に詠んだり、橋のたもとに観音像をたてたりして、末永く供養しました。
  


Posted by はなもぐ  at 10:00Comments(0)むかしばなし

2007年10月15日

竜になった奥方

 はるかむかし。
 甲斐(山梨県)の武将武田信玄は、上野国(群馬県)を手に入れようと、時には安中あたりまで、軍兵を進めていました。
 それを聞いた、箕輪城(箕輪町)の城主長野業政は、ただちに、十二人の娘を一人ずつ、近隣の城に嫁がせました。
 それぞれの城と、姻戚(親類)関係を結んで味方とし、信玄の大軍に備えたのです。
 その近隣の城の一つに、木部城がありました。城主、木部駿河守範虎は、箕輪城から妻をめとり、烏川以南の守りを固めていました。
 そんなある日、ついに武田信玄が、倉賀野、山名、根小屋の砦を落として、木部城を攻めてきました。
 城主、範虎は、力の限り戦いましたが、小さな城の悲しさ、信玄の大軍にはかないません。
 城兵のあらかたは討ち死にし、生き残った兵も負傷したり、ちりぢりになりました。
「もはや、城もこれまで…。」
 範虎は、奥方をひそかに、箕輪城の実家へと落ちゆかせ、自らは城と運命をともにしました。
 わずかな腰元を従えた奥方は、火を吹く木部城を後に、やみにまぎれて箕輪城へと走りました。途中どこにも、武田家の目が光っています。
 その目をさけて、険しい山道をよじ、峠を越えて、ようやく芝村(箕輪町)まで来たときです。
「ここまでくれば、箕輪城まであと少し…。」
 ほっとした奥方か、かなたの箕輪城を仰いだとたん、
「ああっ…」
 よろよろと、その場にくずれおちてしまいました。
 箕輪城は、炎に包まれていました。天をこがす炎の中で、父が母が、兄弟が燃えていたのです。
 武田の手が、箕輪城にも、まわっていたのでした。
 奥方は行くあてもなく山中をさまよい、夜の明けそめるころ、榛名湖のほとりにたどり着きました。
 夫の死、そして今また父母、兄弟の死。
(わが身ひとり、生きながらえたとて…)
 燃え立つような、朝焼けの湖を見つめていた奥方は、やがて静かに、さざ波の中へと入っていきました。従っていた腰元たちも、奥方の後を追って次々と湖へその身を投げたのです。
 それからというもの、奥方は竜に化身して、榛名湖の主となり、腰元たちは小さなカニとなって、今でも竜に仕えているそうです。
  


Posted by はなもぐ  at 09:40Comments(0)むかしばなし

2007年09月08日

少将桜

 徳川氏三代将軍家光の時、前橋城主は酒井忠清公でありました。
 ある、春のうららかな日のことです。お殿様は愛馬を駆って遠乗りに出かけ、途中、慈眼寺にたちよりました。
 境内には、みごとな枝垂桜が今を盛りと咲いています。
「なんと見事な花じゃ。まるで、うす紅色の滝が流れおちるのを見ているようじゃ。」
 お殿様は、枝垂桜の前にじっとたたずみ、あくことなく、花を愛でておりました。
 城へ帰っても、どうしても枝垂桜のことが忘れられません。
「慈眼寺の枝垂桜を、城内に移し植えよ。」
 そのころ慈眼寺は、忠清の支配下にあったのですぐに城に、枝垂桜を自分の部屋の前庭に移し植えてしまいました。
「これで来年の春には、心ゆくまで花を楽しむことができる。」
 お殿様は、花の咲く日を今日か明日かと待っておりました。
 だが枝垂桜は、その春、花を一輪も咲かせませんでした。そればかりではありません。
葉もしだいにしおれ、幹も弱々しくなり、いまにも枯れそうになってしまいました。
 腕のいい庭師がよばれ、いろいろ手をつくしましたが、枝垂桜は弱るばかりです。
 そんなある日、お殿様が眠っておりますと、夢の中に美しい女があらわれて、はらはらと涙をこぼして泣くのです。あわれに思ったお殿様は、声をかけました。
「なぜ、そのように泣いておるじゃ。」
「はい、わたくしは、枝垂桜の精でございます。住みなれた寺が恋しくて恋しくて、泣いております。」
「おまえは慈眼寺の枝垂桜の精か。そんなに寺が恋しいか。」
「はい。寺へもどりとうございます。どうか、もどらせてください。」
「そうか。枝垂桜が枯れそうなのは、そのためか。それほど恋しい寺から、無理やり連れてきたわしがわるかった。わかった。明日にでもさっそくもどすことにしよう。」
 お殿様がこういうと、女はにっこり笑ってていねいに頭を下げ、すうっと消えてしまいました。
「それにしても不思議な夢を見たものよ。」
 お殿様は約束通り、枝垂桜を慈眼寺にもどし植えました。すると、どうでしょう。
その日から青々とした葉を広げ、たちまち生命をとりもどし、よくの春には、再び、美しい花を咲かせるようになりました。
 それからは誰いうとなく、忠清公の官命侍従少将をとって、この桜のことを、少将桜と呼ぶようになりました。
 そして、春がめぐってくるたびに、今でも、美しい花を咲かせつづけています。
  


Posted by はなもぐ  at 09:30Comments(0)むかしばなし